幻のゴルフ場跡は、とっておきの夕陽スポット
長年にわたって親しまれてきた「等々力商店街」は、
11月18日「等々力渓谷商店街」に名前が変わりました。
当日は地元が誇るゆるキャラ「とどロッキー」も駆けつけて大ハッスル(死語)。
(筋骨隆々がっちり体型のとどロッキー。
じつは、なでられると…)
(足が長くなる!…笑
この姿はレアなので、これを見ると幸せになれるそうです!)
公式プロフィールによると、
“等々力で誕生した、筋骨隆々の『とど』。ボクシングと甘食が大好きな、生粋な等々力男子。等々力の笑顔を守るため、日々のトレーニングは欠かしません。体はごっついけど、おちゃめで楽しいヘビー級ファイターです。”
とのこと。
シルヴェスター・スタローンの名画「ロッキー」が元ネタであることにはすぐ気付きましたが、トドだったとは知りませんでした(笑)。
商店街の名前にもなるほど、等々力渓谷は我が街・等々力のシンボル的存在です。
その様子は前回ゆききが紹介した通りですが、
渓谷の入口に架かる「ゴルフ橋」の名前を不思議に思った方もいらしたかもしれません。
そう、確かにゴルフ場があったのです。
渓谷を歩いた先の玉川野毛地区に「玉川ゴルフコース」がオープンしたのは、1931(昭和6)年。
5世紀頃に造られたという「野毛大塚古墳」を囲む、9ホールのコースでした。
程なくして「等々力ゴルフリンクス」に名前が変わり、
キャディとして働いた近隣の人たちは特典として、
無料で東急電車に乗ることができたそうです。
何と言ってもコースを造ったのは五島慶太。東急グループの創始者です。
つかの間の平和な時代の終焉に合わせるかのように、1939(昭和14)年にコースは閉鎖。
跡地は陸軍の高射砲が置かれたといいます。
それから約80年を経た現在、一帯は集合住宅が立ち並ぶ公園となり、
すぐ横を通る環状八号線は昼夜を問わず車が行き交い、
ゴルフ場の痕跡を示すものは何ひとつ残っていません。
当時の写真も探してみましたが、残念ながら見付かっていません。
ただ唯一「野毛大塚古墳」だけは、当時と同じ場所にあります。
(こちらが古墳を下から見たところ。階段を上っていきます。)
(古墳の上から公園を見下ろして)
小高い山のようになっている古墳の上は、とっておきの夕陽スポット。
視界を遮るものが何もない中、紅に染まる空と、
二子玉川の高層ビル群の後ろに沈み行く太陽をじっくりと観賞できます。
“もしかすると80数年前、プレーの最中に手を止めて、
この夕陽に見入ってしまった先人がいたかもしれない”。
そんな想像を巡らせるのも、楽しいものです。
(空気が澄んだ晴れの日には、富士山が見えることもあります。
こちらは木と鉄塔の間から顔を出す富士山)
(しんん)